「雪物語」斉藤俊雄・脚本

「演者と私達見るものの真剣勝負」  手紙による感想 

久喜太東中演劇部の皆さんへ  2050年の12月31日、除夜の鐘が鳴り響く音の後ろにセミの鳴き声が聞こえたラストシーンを見て「なるほどそうだったのか」と納得がいきました。 

何の知識もなく、あなた方の演劇部についても、また、斉藤先生についても下調べもせずに会場に向かいました。持っていったものは、あなた方演劇部の皆さんが久喜駅東口で配っていた「雪物語」のパンフレットだけでした。パンフレットをもらったとき、中を開いてみて「中学生にしてはなかなかやってくれそうだな」そんな気軽な気持ちで出かけることにしたのです。  

簡素な舞台装置を巧みに使うことによって抜群の効果を上げた第一幕、人類を取り巻く自然環境の悪化をはっきりとしたメッセージで伝える第二幕、どちらも見るものの目を、耳を、惹きつける素晴らしい出来栄えだったと思います。その中で私の心を強くとらえたシーンが二つありました。

 その一つは第一幕の中で大黒屋の女将が取引を決めて帰った後に、紅と雪子が対峙するシーンです。2人の人間の火花を散らすような凄まじい勝負が、そこにはありました。
会話を交わす2人の好演にも魅了させられましたが、心の中を作家如月に語らせる演出の工夫にも感動しました。
直後、会話が発展しすぎて雪子が紅を刺す、「えっ、そんなんで、このあとどうなるの」すると、ふっと力を抜いた如月の「書き直しか…」の台詞、釘付けにさせられました。拍手をしたかった。でも、興奮でからだが動かなかった。
その後、「ふうーっ」と肩の力を抜くとき、自分の胸の鼓動が高鳴っているのに気付きました。そして「やられたあ」という感じ。
これは中学生だと思って観に来たことがいかに失礼であったことかと思い知らされた、そんな感じでした。

 「いい作品ですから、ちょっと長いかもしれませんが最後まで見ていってください」そう入り口で知人に言われた言葉が思い起こされ、腰を据えて見直さなければならない、これはあなた方演者と私達見るものの真剣勝負だ、そう思い直して後半を見させていただきました。

 第二幕はメッセージ性が強かったため、あなた方の演技の奥にいらっしゃる斉藤先生の姿を見させていただいている感がありました。

そう、斉藤先生の宗教というか、思想というか、悪くとらないでください…、ひとの心の中には善があり、そして悪がある。その二つの心の葛藤で人は苦しむ、人は堕落しやすい、ついつい目の前の悦楽を求めるため、流されやすい方向に進んでいってしまう。

 「今なら間に合うかもしれない」。その言葉をあなた方は、何度も繰り返していましたね。きっと伝わったと思います。あれだけ沢山の人々があなた方を観に来ています。何人もの人があなた方の思いを持って帰ったでしょう。そして、その何人かの人たちが、またその次の何人かの人たちに伝えていく。気がつくと、何十、何百、いやそれ以上の人々にあなた達の思いは伝わっていくでしょう。

一幕一幕を今回の公演と同じように大切に演じていってください。 そうそうもう一つ私の心をとらえたシーンのことですが、それはやはりラストシーンです。他の人たちにライトがあたっているときもずっと原稿を書き続けている如月、あなたの手の運び、いつも気にしながら見ていました。

ベンを置いたあなたのバックで響く除夜の鐘とセミの声。それを見たとき、会場の誰もが二部構成の意味と、やがてやってくるであろう不安と、そして、自分たちがこれから何をなすべきかということを考えたことでしょう。  

あなた達のステージを見させていただいて、本当によかったと思っています。演じきってのフィナーレ、如月さん、いや、伊藤さんでしたね。あなたの頬を伝わる涙、ああいう涙は拭わないほうがいい。演技で、台詞で、からだから発するすべてで、あなた達の熱い思いを伝え続けていってください。夏の公演、楽しみにしています。 興奮していたせいか、乱文で書いてしまいました。お許しください。太東中演劇部の更なる発展をお祈り申し上げます。 平成12年1月24日 

「想像力と創造力の持つ力」 保護者(高校教師・同人誌作家)

拝啓、いつも子供が大変お世話になりましてありがとうございます。おかげさまで本人はもとより、保護者として本当にいいクラブにはいることができたと喜んでおります。  

今年の三月、久喜総合文化会館での「雪物語」の公演、本当に見事だと思いました。どの面から見ても総合芸術としての完成度が高く、受けた感銘は近年にないものでした。鑑賞しながら、三、四回も涙がこぼれました。

その数日前に、倉本聡・富良野塾公演の「ニングル」を観てきたのですが、子供が関わっていることは関係なしに芸術作品として、私は前回の「森の交響曲」、今回の「雪物語」をとります。

高校演劇埼玉県大会も最近二回観たのですが、その中に太東中学校が参加して県の代表になってもいいようなレベルだと思います。 

具体的に感じたことを書いてみます。まずは何と言っても脚本の良さでしょう。作者の鋭敏な問題意識と世界観が根底にあって、物語世界を支え、深みを与えています。それが重苦しく押しつけがましくなっていないのは、作者の豊かな想像力によって構築された、重層的なファンタジーの世界の中で、人間の愚かさと美しさが相対化されているからだと思います。

「ニングル」と「森の交響曲」はテーマがよく似ています。しかし、前者の基本的描き方はリアリズムで、単純明快ですが、全体としての余韻は後者の方が豊かです。ここに、人間の想像力と創造力の持つ力というものがあらわれているように思います。  

「雪物語」でまず興味深かったのは、創作の現場を構成に取り入れたことです。作者が登場人物を作りだし、そのうちに描いた人物が動き出し、作者に働きかける。私もささやかなりに創作をするものとして、実感としてよくわかります。
ただし、やはりこの運動は創作をしたことのない人には実感としてはわかりにくいかもしれません。  

本当に書きたいものを書いて売れ出した作家も、やがて食うために、書きたいものではなく売れるものを書くようになり、やがて自分が自分でなくなってしまうという悲劇と喜劇は現代のほとんどの商業作家の運命です。それはまた読者の悲劇でもあるわけです。
有名な賞を受けた作品も、読んでみると大した作品でないことがほとんどです。

作家を自分の原点や理想に連れ戻そうとするものは、どこかに残っている良心や見識だと思いますが、それを実現させるものが書くという行為であり、そこに出てくる登場人物であるのは、創作という活動の本質をついていると思います。

創作の現場を劇の構成に取り入れたのは、生徒に合わせてオリジナルの脚本を創作されている先生ならではのものでしょう。  

創作の進行に合わせて劇が進行するという構成の中で、原稿を書き直し、劇の進行も二通りに展開する場面がありますが、この構成も非常に印象的で成功しています。
はじめから完成されたストーリーにするよりも、作家や登場人物の悲しみや怒りや葛藤があらわになり、より強い迫力を生んでいます。

作家が場面に登場して、登場人物の顔の角度を変え、表向きの言葉と、本音の言葉を語らせる演出も、うまい、と思いました。
このように、最高のものを目指し、最大限の効果を上げようという工夫が随所に見られます。  

劇の後半の物語の展開と構成も、うなりました。人間の愚かさが生んでいる環境破壊の問題も、悪魔が操り人形のように人間を動かしているという捉え方で、相対化され、整理されています。

最初の場面での登場人物の揃い踏みの仕方が、象徴的で異様な迫力を持っていました。  

それから、音楽。いろいろなジャンルの多彩な音楽を、実によく使いこなしていると感じ入っています。普段からよほど聴かれて研究されているのでしょう。
圧巻は、シャコンヌの入ったバッハのニ短調の無伴奏バルティータの使用でした。
これはバッハだけではなく、人類の生んだ最高の音楽の一つだと思いますが、この曲を使ったのは、並のことではないと驚きました。
この曲は、ブラームスだったかシューマンだったか、ピアノの伴奏部をつけようとして、愚かな行為だとされたほど、他を寄せ付けない至高な作品なわけですから。
劇はこのシャコンヌに負けないほどの密度を有していました。  

生徒達も立派でした。舞台ではみんな登場人物になりきっていて、存在感があり、実に大きく見えるのです。
終演となって舞台裏で生徒の素顔を見ると、あれ、こんな小さかったのだ、やっぱり中学生だったのだ、と思ったほどでした。  

生徒が持っている個性や能力や可能性には、本当にすごいものがあるのだと思います。
それをうまく引き出して実現させていらっしゃるのには、頭が下がる思いがします。  

また次の公演が楽しみに待たれます。できるだけお手伝いもするつもりでおりますので、今後ともよろしくお願いします。  

「稲妻のような鮮烈な…」 医師

 「雪物語」堪能させていただきました。当日の備忘録を転記させていただきます。
「化鳥伝説」「ヒルダの四季」「森の交響曲」もよかったが、今回も唸った。
舞台装置はシンプルかつ美しく、よく雰囲気を醸しだし、全場面を通じて音響効果も抜群だった。
主張がある。エンターテイメントがある。
稲妻のように鮮烈ないくつかの場面と美しい雪のイメージが、数時間すぎた今も頭を、胸を満たしている。