春一番が吹いた日に
〜後書きのためのインタビュー〜

 

みゆき 斉藤先生、お久しぶりです。私が誰だかわかりますか。 

斉藤 … 

みゆき みゆきです。 

斉藤 みゆきさん!わからなかったよ。何年ぶりだろう。 

みゆき やめましょう。年齢がばれちゃうから。 

斉藤 今日はどうして? 

みゆき 後書きの原稿を取ってきてほしいって頼まれちゃって。 

斉藤 誰に? 

みゆき 出版社の方です。 (あっ)私、出版社に勤めているんです。 

斉藤 そうなんだ。 

みゆき 後書き、できてますか? 

斉藤 それが、なかなかいいアイディアが浮かばなくて… 

みゆき 後書きですから、悩まないでぱぱっと書いちゃえばいいじゃないですか。 

斉藤 そう思うんだけど、書けないんだ…。 

みゆき (あっ)こんなのどうでしょう。私が先生にインタビューするんです。それをもとに私が後書きを仕上げるんです。まるで先生が書いたように。 

斉藤 …インタビューね。…そういえば、君は中学生の頃、放送部員だったよね。 

みゆき 懐かしい思い出ですね。 

斉藤 わかった。後書きは君にまかせるよ。 

みゆき ほんとですか。ありがとうございます。それじゃ、早速インタビューを始めますね。 

斉藤 おてやわらかにお願いします。 

みゆき 斉藤俊雄作品集『夏休み〜シリーズ・七つ森の子どもたち〜』が出版されますね。今どんな気持ちですか。 

斉藤 嬉しい気持ち、わくわくする気持ち、不思議な気持ちといった様々な気持ちが入り交じっている感じだね。 

みゆき サブタイトルにある七つ森は、脚本集に掲載されている全ての作品の舞台ですが、それはどんなところなのでしょう。 

斉藤 七つ森は最近の私の劇の舞台となる架空の場所なんだ。現代とほとんど同じ歴史を持つパラレルワールド・日本・東京のどこかにある場所と考えていいんじゃないかな。そこには以前七つの大きな森があった。だから七つ森という名前がついたんだ。現在は二つ森と七つ森しか残っていないんだけど。 

みゆき (あー) その理由は『青空』の中で語られてましたね。確か、他の森は空襲で燃えてしまった。 

斉藤 そうだね。 

みゆき 七つ森って市ですか。 

斉藤 そう言えば脚本のどこにもそれについて説明されてないよね。(うん)今ここで決めよう。市です。でも、都会というイメージではないけど。 

みゆき 七つ森市に、七つ森という名前の森があるということですね。 

斉藤 そういうことになるね。 

みゆき ドラマに登場する学校とその生徒について話していただけますか。 

斉藤 七つ森に隣接して、七つ森中学校と私立七つ森女学院中学校の二つの中学校と七つ森小学校があるんだ。『ときめきよろめきフォトグラフ』『降るような星空』『春一番』は七つ森中学校の生徒たちのドラマ。みゆきさんはそこの卒業生だよね。『青空』『なっちゃんの夏』は私立七つ森女学院中学校の生徒たちのドラマ。『夏休み』は七つ森小学校の子どもたちのドラマだね。 

みゆき 次にタイトルになった『夏休み』について伺いたいと思います。なぜ『夏休み』を脚本集のタイトルに使ったんですか。 

斉藤 『夏休み』は、僕が二十四歳の時に創った、二作目の脚本なんだけど、これを書いたことで演劇部の子どもたちのために、自分で脚本を書くことができるかもしれないって思うことができたんだ。この脚本なくして、今の自分は存在しない。そんな作品なんだ。だから、脚本集のタイトルにしたんだ。 

みゆき 七つ森シリーズを思いついた時よりも前に生まれた作品なんですね。 

斉藤 そうだね。『夏休み』を七つ森シリーズに組み込むことができて本当によかった。

みゆき 初めて脚本の賞を受賞した作品なんですよね。 

斉藤 第十六回創作テレビドラマ脚本公募で佳作一席に入った。あの時はほんとびっくりしたよ。自分の作品が選ばれるなんて思ってもいなかったから。 

みゆき テレビドラマの脚本の書き方を知らないで応募したそうですね。 

斉藤 そうなんだ。自分たちの中学校で上演したままの形で応募しちゃったんだ。そんなこともあって最終審査に残った十五作品の中でははじめあまり評価が高くはなかったんだ。けど、選考を重ねていくうちにだんだん評価が上がっていって、最終的に全体の二位に当たる佳作一席になったんだよね。選考過程を読んでそれがわかった時は複雑な気持ちだった。 

みゆき 複雑な気持ちというと。 

斉藤 テレビドラマの脚本の形式をきちんと勉強して応募したら、この賞を後援しているNHKで放送されてたかも…っていう気持ちがあったね。一位の作品はドラマ化されたから。それと形式が不完全であるにもかかわらず、高い評価をしてもらったという嬉しい気持ち。その二つの気持ちが混じり合った、何とも言えない気持ちだった。でも嬉しい気持ちの方がずっと勝っていたけど。 

みゆき この作品は日本各地で上演されているそうですね。どんな人たちが上演しているんですか。 

斉藤 (うん)小学校の演劇クラブ、中学・高校の演劇部、クラス・学校劇、地域の子どもたちを巻き込んだ企画、地方劇団と様々なんだ。受賞時の審査員は、この作品を「その発想は面白く、不思議な魅力を湛えている」と評価してくれたんだけど、多くの人がそんな魅力を感じてくれているのだとしたら、嬉しいね。 

みゆき 先生は『夏休み』で何を描こうとしたんですか。 

斉藤 一言で言えば、子どもたちの夢なのかな。それを夏休みというなんとなく懐かしく、そしてほろ苦い時の中で描いてみたいと思ったんだ。

みゆき 物語のラスト近くで、子どもたちが流れ星に願いをかけますね。それぞれの願いが語られるんですけど、主人公の大場君だけはどんな願いをかけたかが語らない。それはなぜですか。

斉藤 僕からの観客への問いかけなんだ。彼が何を願ったかは、観ている人の想像力にまかせたいと思ったんだ。 

みゆき 『シリーズ・七つ森の子どもたち』は『青空』『なっちゃんの夏』『ときめきよろめきフォトグラフ』『降るような星空』と続いていくわけですが、この四作品についても語っていただけますか。 

斉藤 (うん)わかった。
『青空』は『夏休み』と同じ、太平洋戦争を描いたドラマだよね。『夏休み』には昭和二十年から昭和十一年にタイムスリップする女の子が登場するでしょ。『夏休み』を創った頃の僕は、タイムスリップという手段に強くひかれていたんだ。でも、今の僕はそれを封印したいという気持ちの方が強いんだよね。それで『青空』は、戦争中にタイムスリップする話ではなく、まるで戦時中にタイムスリップしたような感覚になるドラマにしたんだ。その仕掛けとして重要な役割を果たしたのが、舞台背景となる戦争の展示だった。『青空』を上演した僕が顧問を務める久喜中学校演劇部の部員たちは、全員で戦争の展示作りに取り組んだんだ。たくさんの本を読み、インターネットで調べ、展示のレイアウトを考え…。僕らが上演した『青空』が、観た人にどれだけ強く戦争の悲惨さを伝えることができたか、それは分からない。でも、これだけは言える。上演した彼女たちは、戦争と真剣に向き合うことができた。
『なっちゃんの夏』は僕の三作目の作品。『夏休み』の次に創った作品なんだけど、その当時と今の作品は別物と言っても過言ではないね。劇中に出てくる夏木夏子という名前くらいしか、共通項がないから。『なっちゃんの夏』で扱われるのはいじめだよね。この作品を創った当時、僕は、学校で紹介される映画やアニメで描かれるいじめが、あまりにもきれい事で解決することにすごく不満を持ってたんだ。だから、きれい事の解決で終わる作品にはしなかったんだよね。ただ、希望は描きたかったんだ。それがどんなちっぽけな希望であっても。だから、ラストはあのような形になったんだけど。
『ときめきよろめきフォトグラフ』は七つ森のシリーズをはじめるきっかけとなった作品。実は、基になる作品があるんだ。オリジナルは一九九三年のフジテレビ・ヤングシナリオ大賞に応募した作品なんだ。この時は『夏休み』の時と違って、テレビドラマのシナリオの描き方も独学で勉強して作品を創り上げた。この作品のタイトルだけ、僕の他の作品の響きと違っているのは、テレビドラマの脚本としての受けを狙ったからなんだよね。応募作は一八四九篇もあったんだけど、この作品は最終審査の二十三篇に選ばれたんだ。そして、更にそこから九篇に絞られる際にもしぶとく生き残った。その後四篇に絞る段階で落選したんだけど。応募した『ときめきよろめきフォトグラフ』の内容は高校の写真部のドラマだったんだ。それを中学の写真部の話として書き直したのが、七つ森のシリーズ第一作となったわけだ。まわりから理解されない二人の少女が、お互いを認めていく過程を丁寧に描きたかった。けど、それと同時にさりげなく、提示したいことがあったんだ。それはね、食物連鎖で上位にいる動物を悪と描くことに対しての異議申し立て。僕はオオカミとかタカなどの肉食獣を悪として描く物語が苦手でね。他の生き物を生きるために食べることは、弱いものいじめとは別次元の問題だから。
『降るような星空』は僕の四作目の作品なんだ。再演した際に大幅に書き換えたら、二時間を超える大作になっちゃったんだ。劇中劇はこの書き換えの中で生まれた。その脚本を「子どもが上演する劇脚本募集」に送って、晩成書房戯曲賞・特選を受賞した思い出深い作品だね。この当時は長い作品ばかり上演していて、受賞後、日本演劇教育連盟主催の全劇研で二時間四十分の上演も行ったんだ。『森の交響曲』という作品だった。その後、いろいろ思うところがあって、大きなホールや体育館で上演するより、演じている子どもたちの息づかいや表情が伝わる、教室や公民館に発表の場を移していったんだ。そんなこともあって、今から二年前、長大な『降るような星空』を大幅に書き換えて、一時間以内で上演できる作品にしたんだ。 

みゆき 今の斉藤先生にとって『降るような星空』はどんな作品なのですか。 

斉藤 主人公の弟の死で感動をとろうとしているところに、気恥ずかしさを感じるね。でも、そのことを含めて、好きな作品だね。

みゆき ありがとうございました。最後は私の登場する『春一番』です。『春一番』はどんな気持ちで創ったんですか。 

斉藤 昔も今も変わらない子どもたちの魅力を描きたいって気持ちかな。 

みゆき どういうことですか。 

斉藤 「子どもたちは変わった」って耳にすることがあるでしょ。その言葉って、子どもたちは昔と比べて悪くなったって響きを伴っているんだよ。確かに時代と共に人間は変わるんだけど、僕はその変化を悪いことばかりだとは思わないんだ。僕の目の前にいる生徒たちは、とっても魅力に満ちている。そしてその魅力は、僕が教師になった二〇年前も今も変わったとは思えないんだよね。「そんなすてきな現代の子どもたちを簡単に否定させてたまるか」という思いが書かせたドラマが、『春一番』なんだ。

みゆき それで過去の子どもたちを、まるで現代の子どもたちであるように描いたんですね。 

斉藤 (うん)過去と現代を行き来する物語とか、過去を回想する作品は創りたくなかったんだ。過去と現代を同一空間で描きたかったんだ。

みゆき この脚本集に掲載されている六つのドラマは、それぞれが独立したドラマでありながら、少しずつ重なる部分があるそうですね。 

斉藤 そうだね。シリーズの一作目となる『ときめきよろめきフォトグラフ』を書いたときには、七つ森のシリーズを書いていこうという思いはなかったんだけどね。シリーズ二作目となる『なっちゃんの夏』を構想したときに、七つ森の子どもたちのドラマをシリーズとして書いていくことを思いついたんだ。

みゆき その関わりを教えてもらってもいいですか。 

斉藤 それじゃいっしょに考えていこう。まず、脚本集のタイトルになっている『夏休み』から始めようか。『夏休み』には高田一郎という運動の得意な少年が登場するだろ。彼女の妹の名前は何だったか覚えてる。 

みゆき 花。 

斉藤 そう、花さん。 

みゆき (あっ)花さんって、『青空』の… 

斉藤 そう。高田花さんは、『青空』で子どもたちに戦争当時の体験談を送ってくる人。つまり、『青空』で語られる花さんの兄って、『夏休み』の高田一郎なんだ。 

みゆき 神風特攻隊で死んでしまう、悲しい運命を背負った人でしたね。(そうそう)どちらの話にも空襲が出てきますね。 

斉藤 昭和二十年五月二十五日の空襲だね。どちらの話でも空襲は回想という形で語られるわけだ。 

みゆき 同じ空襲を描いているのに、描き方はずいぶん違っていますね。 

斉藤 その描き方の変化が、イコール僕自身の変化でもあるんだ。 

みゆき なるほど。 

斉藤 『青空』と『降るよう星空』の共通項は何だと思う。 

みゆき 台風ですか。 

斉藤 そう。『青空』と『降るような星空』に描かれたドラマは、同じ日に七つ森で起こった出来事なんだ。 

みゆき 七つ森に大雨洪水暴風警報が出された日ですね。 

斉藤 『ときめきよろめきフォトグラフ』に学年一番から転落した、ゆき絵って生徒が出てくるよね。そのゆき絵を破って一番になったのが『降るような星空』のみどりなんだ。

ゆみき みどりはまわりから優等生扱いされることで苦しみますね。 

斉藤 テレビドラマなんかでよくある、勉強のできる生徒=性格の悪い生徒的な人物は描きたくなかったんだよね。『夏休み』の天野も『ときめきよろめきフォトグラフ』のゆき絵も、そんな思いから生まれたキャラクターなんだ。 

みゆき 『なっちゃんの夏』は他の作品とどんな繋がりがあるんですか。 

斉藤 『なっちゃんの夏』は『青空』の一年後の七つ森女学院中学校の文化祭を描いた作品。だから登場人物が重なるよね。 

みゆき 『青空』の登場人物である三波と和恵が、OGとして学校を訪れますね。 

斉藤 松本先生と丸山先生も両作品に登場するね。名前だけの登場も含めれば近藤先生も。

みゆき マッチーこと松本先生は六作品中の三作品に登場しますね。 

斉藤 『ときめきよろめきフォトグラフ』の松本由美子先生と『青空』『なっちゃんの夏』の松本洋子先生のことだね。二人は姉妹なんだ。その関係は『春一番』の由美子の台詞の中で、さりげなく提示されているんだけど。 

みゆき 私の親友の由美子は母校の先生になったんですね。 

斉藤 そうだね。由美子さんは優しすぎるから、『春一番』では君との人間関係で苦しんだよね。先生になってからもその優しさのために苦しむことになるわけだ。それは『ときめきよろめきフォトグラフ』の中に描かれている。そういえば、二〇〇一年の一月一日に七つ森中学校に行ったの。

みゆき はい、由美子と一緒に。その日の夜、由美子から電話がかかってきたんです。由美子、泣きながら「ありがとう」って。

斉藤 よかったね、気持ちが伝わって。

みゆき はい。(あっ)インタビューを続けます。先生は、先ほど、発表の場が教室や公民館に移っていったって話していましたね。それはなぜですか。 

斉藤 自然な発声で台詞を言っても観客にしっかり伝わること。演じている人の表情がはっきり見えること。演じている人の流した涙が、はっきり見えること。それは大きなホールや体育館では味わえない魅力なんだよ。誤解しないでほしいんだけど、僕は体育館の上演がいけないと言っているわけではないんだ。ただ、体育館の上演が苦痛で仕方がない演劇関係者が数多くいることは確かなことなんだ。広い体育館で多くの人の興味をひく演劇を行うということはとっても大変なことだから。それだったら、体育館にこだわる必要はないのではないかと思うんだ。最近の自分は、体育館の後ろに座っている人に声を届けようと、大きな声を張り上げることで、表現が乏しくなるということもあるって考えてしまうんだ。 

みゆき 中学生の時、演劇部に入っていた私の友だちは、「女を捨てろ」って言われたそうです。 

斉藤 (ああ)中学生の演劇部には女子だけっていうところが多いんだよね。観客の興味をひきつけるために笑いはとっても有効な手段なんだ。でも、一般的に女子が笑いを取るのは男子よりも難しいって考えられているという事実がある。

みゆき だから、笑いを取るためには女を捨てて演じなければいけないっていうわけですね。

斉藤 (あっ)誤解されないために言っておくけど、僕はそう思っていないよ。だって、女を捨てたりしなくても、笑いをとることはできるから。二〇年以上演劇部と関わってきて、僕が顧問として関わった男子部員は二人だけなんだ。あとはみんな女子部員。でも、それで笑いがとれなかったり、劇がつまらなくなったってことはないと思う。

みゆき 先生の劇の登場人物が女性ばかりなのは、部員が女子ばかりという背景があるんですね。

斉藤 そうだね。僕は中学生の女子が男役を演じるのに違和感を感じる時があるんだ。だから『夏休み』以外の作品では男性の役が存在しないんだ。

みゆき 先生はどんな劇を上演したいと思っているんですか。

斉藤 中学生が演じることで輝く劇だね。高校生でも大人でもない、中学生が演じた時、その魅力を十二分に発揮できる劇を上演していきたいと思ってる。

みゆき 先生にとってそれはどんな劇なんですか。 

斉藤 あくまでも僕の場合だけど、一言で言えば心にしみる劇かな。 

みゆき 心にしみる劇…、なんとなくですが、わかるような気がします。

斉藤 それはよかった。 

みゆき 斉藤先生。最近、演劇部のある学校がどんどん減っているって本当ですか。 

斉藤 残念だけど、本当なんだ。 

みゆき 部がなくなるって寂しいですよね。その寂しさ分かります。私が所属していた放送部も、卒業した後なくなっちゃいましたから。 

斉藤 そうだったね。

みゆき 斉藤先生の脚本集が、演劇部がなくなっていくことに対しての抑止力になるといいですね。

斉藤 抑止力か…、できれば、抑止力であることを越えて、中学生による演劇の輪が日本中に広がっていけばいいと思っている。

みゆき それは、夢が大きすぎませんか。

斉藤 みゆきさん。二〇年前の僕の夢、なんだったと思う。

みゆき 何ですか。

斉藤 脚本集を出すこと。大きすぎる夢だと思った。でも、今その夢が実現しようとしている。 

みゆき 夢は夢見ることから始まるっていうことですね。

斉藤 そうだね。

みゆき 最後に一つ聞かせてください。 

斉藤 何? 

みゆき 先生がペンネームを使わないのはなぜですか。 

斉藤 僕が出会ってきた人たちが、どこかで僕の作品に出会った時、それを書いたのが僕だってわかるように。僕が教えた生徒の一人が、この脚本集を手にして、先生、こんなことやっているんだ、なんて僕のこと思い出してもらえたら嬉しいなって思うんだ、それで。 

みゆき その人の心に、あたたかい何かが伝わればいいですね。 

斉藤 そうだね。 

みゆき (さっ)がんばって、このインタビューから後書きを創らないと。 

斉藤 今日はありがとう。とっても楽しかった。 

みゆき それは、私の台詞です。 

斉藤 タクシー呼ぼうか。外、すごい風だよ。 

みゆき 春一番、吹きましたね。 

斉藤 吹いたね。 

みゆき 私、歩いて帰ります。歩きたいんです。春一番に向かって。 

斉藤 あの時みたいに。 

みゆき はい。 

斉藤 (あっ)このインタビュー、絶対このまま載せちゃ駄目だよ。みゆきさん、インタビューの中で僕のこと先生ってずっと呼んでたよね。先生って、文章の中で使われると、なんかすごく偉そうな響きがあるから、そこは変えてもらえると嬉しいな。 

みゆき わかりました。 

斉藤 それじゃ、気をつけて。 

みゆき さようなら。斉藤先生。 

斉藤 さようなら。みゆきさん 

 

◇◇◇

みゆきから斉藤先生へ

 

ごめんなさい。斉藤先生へのインタビュー、そのまま載せてしまいました。私は先生という言葉の響き、偉そうだと思っていません。だから先生はやっぱり先生です。約束を破ってしまってすみません。それと、一つお願いがあります。またいつか、七つ森の物語の中に私を登場させてください。いつの私でも構いません。私は、その日を楽しみにしています。  

〜春一番が吹いた日に〜